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西宮ストークス魅力発掘インタビュー!~#10渡邊翔太選手編~

いつも西宮ストークスを応援いただきありがとうございます。
2020-21シーズン開幕を目前に控え、今シーズンより新たに西宮ストークスの一員となった渡邊翔太選手をご紹介いたします!


兵庫で世代最強のポイントガードが
持ち前の明るさでチームを推進させる

#10渡邊翔太

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活発な少年が大人になったようなPGは
小学生から大学生まで、すべてで主将を経験

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渡邊翔太は神戸市西区出身。幼いころはじっとしているのが苦手で、ずっと外で遊んでるような子どもだった。

「食べることと身体を動かすのが、大好きな子どもでした。やんちゃというのではなく、活発な感じですよ。学校から帰ったら、ランドセルを置いてすぐに外に出でていく。いや一度、家ですねに帰るかもアヤしかった(笑)。毎日、真っ暗になるまで遊んで、門限は守っていなかったです。門限は決められていたけど母親は仕事をしていたので、その時間に帰っていないこともあるんです。母親よりちょっとでも早くに帰っていればOKなので、毎日がその戦いでした。いかに、1分でも長く遊ぶかにかけてましたね

目の前にいる新加入のポイントガードは、そんな少年がそのまま大人になったかのように、とにかく快活で明るい。本人の名誉のために付け加えておくと、勉強は「学習塾にも行っていましたし、わりとできたほうでしたよ」だそうだ。そんな彼がバスケットボールと出会ったのは、小学校3年生。

「スポーツが好きで、サッカーを習っていたこともあったんです。家の近所にYMCAができて、そこにバスケのクラスがあったので、ちょっと行ってみようかって感じで始めました。父親が中学校でバスケットを教えていたこともあって、バスケは子どものころから身近にありましたね」
 


当時は週に1~2回ほどの活動だったが、5年生のときには県大会に初出場。キャプテンを務めた6年生では県大会で初勝利もあげた。中学校に進んでも当然、バスケットボール部に入った。

「地元の普通の中学校で1、2年生のころは強くなくて、僕がキャプテンに指名された3年生のときも最初は弱かったんです。だけど最後の大会だった中学総体は、神戸市で準優勝。県大会に進んでそこでも準優勝して、近畿大会に出たんです。個人では当時の兵庫県選抜に選んでもらって、全国大会に出場しました」

中学で光る実力を示していた渡邊少年のもとには、いくつかの高校から誘いの声がかかった。実際に練習に参加するなどして、そのなかから選んだのは関西学院高等部。兵庫県屈指のバスケ実力校で、彼はさらに輝きを放った。

「3年生のときは僕がキャプテンで、兵庫県では一回も負けませんでした。それは関学の高等部では、初めてのことだったそうです。夏のインターハイでは勝てなかったんですけど、冬のウインターカップは1回戦に勝った。全国大会で1勝をあげられたのは、自分たちにとっていい経験になりましたね」

兵庫最強チームを主将としてまとめていた彼は、当然の流れで関西学院大学に進学。1年次からレギュラーとして出場し、2年次には春のトーナメントで準優勝。このころに、プロ選手になることを具体的に意識し始めた。


「僕が1回生のときの4回生の先輩が、プロになったんです。今は三遠ネオフェニックスにいる川嶋勇人さんです。試合を見に行って、川嶋さんがカッコ良かったんです。それもあって2回生くらいのころには、自分もプロになりたいと思うようになりました」

プロ選手になることを視野に入れながら、バスケと向き合った大学時代。3年次に関学大はインカレ出場を果たし、最上級生となった4年次にはこれまでと同じくキャプテンを任された。しかし大学バスケの最後に残ったのは、少し苦い思い出。

「3回生のときに試合に出ていたメンバーが、そのまま4回生になって、関西で優勝しようと言っていたんです。なのに全然、勝てなくてインカレに出場すらできませんでした。キャプテンの自分の力が足りないせいで勝てなかったんだと、あのときはちょっと挫けましたね。大学の最後でインカレにも出られなかったので、プロでバスケットをやりたい気持ちががより強くなりました」

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今とこれからを良くするため、つねに前を向く
生来の明るさが、チームのエナジーになる

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そんな彼の目標は、大学生時代にかなう。大学4年次の2016年1月に、当時NBDLに所属していたアースフレンズ東京Zにアーリーエントリーで入団した。

「初めてのプロのバスケは楽しむ余裕なんてなくて、ホンマに必死でした。このときはアーリーエントリーで途中から入って、出場したのは全部途中からで13試合。ずっと必死だったので、あっという間でした。なんとかやっていけるかなと感じたのは、次のシーズンになってからですね。このシーズンから、Bリーグが始まったんです」

B2に編入された東京Zで引き続きプレーし、全60試合に出場。1試合平均出場時間は31.6分を数え、同得点は12.2と主力選手と呼ぶに充分な成績を残した。実力を認められ、その後は島根スサノオマジック、三遠とB1でのプレーを経験。昨季は信州ブレイブウォリアーズの主力として、チームをB1昇格に導いた。渡邊自身もB1復帰かと思われたが……。

「信州から契約延長のオファーは、なかったです」

そんなことは、大したことではない。そうとでも言わんばかりに、実にあっさりと答える。


「昨季は自分が全力を尽くせていなかったのと、自分の実力不足だったので、契約延長ができなかったという感じです。でも、信州でプレーできて良かったと思っています。今は当然、気持ちはすっかり切り替わっていて、自分のなかにあるのは今季ストークスで頑張るんだという思い。それとやはりB1に行きたい、もう一度自分もB1で活躍したい気持ちもあります。ストークスは地元であるのももちろんですが、B1にいちばん近いチームだと思って入団を決めました」

過ぎたことに思いを残すより、今とこれからをより良くするため、つねに前を向く。渡邊翔太とは、そういう男。「これから」に目を向けて楽しみにするひとつは、プロになって初めて地元のチームでプレーできること。

「地元のチームでプレーできるのは、やっぱり特別です。家に帰ってきたみたいな、親近感があります。西宮は高校、大学で通っていた街。そこでプロとしてバスケをするのは、不思議な感覚でもありますね。ホームの西宮市立中央体育館は、高校生のときに試合をした会場なんです。もう慣れたましたけど、最初は変な感じでしたよ」

西宮ストークスの前身である、兵庫ストークスが発足したのは2011年。当時の渡邊は、18歳の高校3年生だった。

「ストークスができたのは、僕が高校生のときでしたよね。大学生になってから、試合を見に行きました。僕が小・中学生のころに、まだ学生だった谷(直樹)さん、松崎(賢人)さん、道原(紀晃)さんの試合を見に行ったこともあったんです。あの人たちがストークスで、プロとしてプレーしていた。身近に見ていた人たちがプロになって、カッコいいなという憧れのような思いがありました」

ストークス入団後は、屈託のない明るい性格ですぐにチームに溶け込み、谷ら古参の先輩からは弟のように可愛がられる。彼の周りはいつも賑やかで、ハッピーな空気が流れている。ところがいざコートに立つと笑顔は消え、攻め気を前面に出し、全力でファイトする熱い男へと一変する。


「自分はオフェンスでもディフェンスでも、攻めてナンボの選手だと思っています。オフェンスではゴール下に切り込んで、周りの選手を生かすチャンスメイクをしたり、自分でもゴールにアタックしていく。それだけではなく、ディフェンスもアグレッシブにやって、チームに流れを持ってくる。それが武器だと思うので、そこを見てほしいですね」

40分のゲームも、長い期間を経るシーズンも、良いことばかりではない。どこかで必ず、厳しい局面を迎える。それが、プロのバスケットボールというものだ。苦戦しているとき、苦境に立たされている時期。そのときこそ彼の持ち前の明るさが、チームを推進させるエナジーになる。



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