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【INTERVIEW】#13道原紀晃選手 プロキャリア10年目にかける想い

いつも西宮ストークスを応援いただきありがとうございます。
プロキャリアスタート以来、ストークス一筋でプレーし、今シーズンプロ10年目を迎えるまで「ストークスのエース」としてチームを牽引してきた道原紀晃選手に今季にかける想いを聞きました。


“ノリ”こと道原紀晃は、2012年にプロのバスケ選手としての第一歩を記した。
入団したチームは当時、創設2シーズン目で、フランチャイズ名を兵庫と名乗っていたころのストークス。
あれから今季で、プロ選手として10シーズン目を迎える。ノリはこの間に一度もストークスのユニフォームを脱ぐことなく、キャリアを重ね続けてきた。とはいえ、これまでに移籍に気持ちが傾いたことがなかったわけではない。
 

「正直に言うと家族ができてから、少しは考えたこともありました。それでも奥さんが『自分がいちばんやりたい、そう思うチームでやるのがいい』と言ってくれたんです。それに背中を押されたことも、少なくない要因ですね」

家族の言葉ももちろん、彼がストークスに居続けるもうひとつの大きな要素は、深い地元愛。

「やはり、地元愛がすごく大きいですね。育った兵庫県にバスケットでなにか力を与えたいと思って、僕はプレーしています。スクールに行ったときに言うんですけど、小さいころからバスケットを楽しんでやって、必死になって練習していけばプロ選手にもなれる。僕がそうです。そのことを、子どもたちに伝えたいと思っています。同じことをいろんな場所でやるのもいいと思いますが、僕は兵庫県が、地元神戸が好き。それがストークスで10シーズンもプレーしている理由です」

そんな道原にバスケットボールを始めたきっかけを問うと、その記憶は曖昧だ。
なぜなら、物心がついたときには、すでにボールを手にしていたのだという。

「ボールを触ったのは3~4歳のころからと母親から伝えられていますが、ちゃんと習い始めたのは小学校1年生から。それからバスケを続けて、高校に進むタイミングで科学技術高からお誘いをいただきました。兵庫県でもトップレベルだと思っていた高校から、声をかけられたのはうれしかった。でも行くのは、すごく怖かったんです。試合に出たかったので、補欠になるのは嫌だったし。だけどそこで勝負しないと、小さいころから夢見ていたプロバスケットボール選手になれないと思ったんです。自分と向きあって、勝負しようと思って科学技術高に進みました」

小中学校は有名校ではなく、いわゆる普通の部活。
そこから兵庫県下でバスケ強豪校と知られる高校に進み、キャプテンを務めるまでになった。


「強い学校だったので、正直に言うとツラい練習もありました。でもそれ以上にキャプテンとして、みんなをまとめることにプレッシャーを感じていました。試合に負けると自分個人の悔しい気持ちだけではなく、チーム全体の責任も背負ってしまって……。そこで挫折というか、気持ち的に続かないときはありました。それを乗り越えられたのは、やはりチームメイトの存在。シンプルなんですけど、『いっしょに最後まで頑張ろう』とチームのみんなが言ってくれて、しんどい時期を乗り越えられたんです」

高校卒業を前にして大学に進学せず、就職してバスケは遊びで続けようかと考えた時期もあった。
しかし大阪商業大から誘いの声がかかったことで、競技を続けることを決意。
そして関西学生リーグで点取り屋と名を馳せていた大学4年次に、地元の兵庫県にストークスが誕生した。

「チームには中学、高校のころから知っていて友達だった谷(直樹)さん、松崎(賢人)さんがいて、もう引退されましたけど中村(大輔)さんもいました。みなさんとは高校でも何度か試合をして、谷さんは関西の大学だったのでよく試合をしていました。地元にチームができて、そこに入団しているみんなを見ていて、うらやましい思いがありましたね。僕もプロになってやろうという気持ちになりました」

進むべき道は決まった。ストークスが2シーズン目を迎えるにあたり、トライアウトを受験。
合格を果たし、幼いころから夢見ていたプロのバスケットボール選手として第一歩を記した。
デビューシーズンから、ルーキーらしからぬ強気なプレーでチームのJBL2優勝に貢献し、自らは新人王に選出された。

しかし翌季からレベルが上がったステージに進んだチームは苦戦し、NBLでの3シーズンは低迷。
2016年に開幕したBリーグは、B2からスタートになった。


 


「あのシーズンは、勢いがありましたね。僕はコーチにも恵まれましたし、チーム内で競争する気持ちも、今までの倍以上に感じていて良かった。最終的にチームはB2で優勝してB1に昇格、僕はプレーオフのMVPをいただきました。昔は観客もそれほど入っていなくて、それでもバスケットを盛り上げていこうと、チームもフロントも頑張っていた。振り返ると、まだまだ小さいリーグだったんだなという印象でした。それと比べると、こんなすごい場所にまで来られたんだなと、Bリーグ初年度で感じましたね」

しかし、B1に昇格すると一転。
18チーム中17チームに終わり、残留プレーオフでも敗れて、わずか1シーズンで降格の憂き目に遭う。

「あれは今まででいちばん、逆の面で思い出に残っている1年でした。B1という壁は、そんなに高くて分厚いのか。それを身体で感じた1年でした」

昨シーズンもB2西地区を制しながら、プレーオフで敗れて昇格できない悔しい思いを残した。

「やはりトーナメントは、厳しいなと思いました。1シーズンとおして積み上げてきて、いいチームになって、絶対に優勝できる自信もあったんですけど……。2試合目で負けたときは、悔しい気持ちもありましたけど、本当に頭のなかが真っ白になりました。僕は西宮が絶対にいちばんいいチームだと思っていて、トーナメントになっても優勝できると思っていた。それができなくて、真っ白になった感じ。みんなも同じだと思うんですけど、何週間かはボーっとというか、終ったんやなという感じが続いていましたね」

いつまでも下を向いてはいられない。気持ちを切り替え、ノリは再び顔を上げた。

「クラブ全体で、なんとしてでもまた来季に頑張ろうというミーティングがあって、そこで気持ちを切り替えました。そのときに来季こそ、このチームでB1に昇格したい気持ちがあらためて芽生えたんです。毎年言っていますが、昇格はマスト。僕は今季で10年目になりますが、これだけ同じチームでやっている選手は少ないでしょうし、責任は大きいと思っています」

B2優勝、B1昇格に再チャレンジするシーズンが、間もなく幕を開ける。
ノリの胸中には高ぶりと同時に、わずかばかりの憂いが潜んでいる。


「プレッシャーと楽しみは正直、どちらもありますね。毎年は楽しみが勝っていましたが、昨季にああいう形で負けてしまったので、今はプレッシャーも少しは感じています。バスケットはチームスポーツなので、チームでなんとかするのはもちろんですが、自分の力で昇格に持っていきたい。昇格への自信は、満々です。プレッシャーもありますが、そのなかでも、絶対に自信は持っていないといけないと思っていますから」

愛する地元の人たちを笑顔にするために、果たすべきことは、ただひとつ。それを叶えるため、ノリはストークスで10年目のシーズンに挑む。


10月2日(土)、3日(日)にいよいよ開幕する、西宮ストークスの2021-22シーズン。
今シーズンも皆さんの熱い応援をどうぞよろしくお願いいたします!